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第519話 総大将の流儀

邯鄲よりおよそ西に五十里、鄴より北におよそ七十五里に広大な平野と時折進軍をさえぎる森林と山が混在する朱海平原があった。そこはこれから南下する李牧軍と北上する王翦軍が激突する場所であった。
そして、両大将は斥候と共にすでに現地に入り、見晴らしのよい丘に立ち、地形を頭に入れて、そこに軍を想像し、陣形を組み動かし、壮絶に戦わせていた。両者の戦いはすでに始まっていたのである。

鄴では趙の解放軍が桓騎軍と戦っていた。そこではリン玉の騎馬隊が大いに活躍をしていた。趙軍は鄴が見える分、否応なく意識が前に来るため、リン玉の旋回横撃によって大打撃を喰らっていた。そこに雷土からの伝令が入る。現在戦っている敵の他に新たに左右から二千ずつ近づいているとのことであった。さらに別のところから新手の二千の騎兵が迫っているとのことであった。実際は桓騎軍に余裕はなく、摩論はその対応に大きく苦心していた。

朱海平原では両全軍が到着する。それぞれ将校を呼び寄せる。そして、作戦を伝え、配置に着かせる。秦軍は中央に王翦、麻鉱を置き、その後ろに飛信隊を配置し、合計五万八千、右翼は亜光と王賁で合計二万五千、左翼は蒙恬の五千であった。一方、趙軍は中央に李牧、金毛、カイネ、傅抵、尭雲を置き、合計六万、趙軍左翼は趙峩龍、馬南慈、岳嬰の合計三万、右翼は紀彗、馬呈の合計三万であった。
信は左翼の蒙恬を見つめる。

蒙恬は部下たちに楽華隊が栄えある第一陣で始めるぞと言うと楽華隊は大いに湧き上がった。




ついに陣形も明確になりましたね。王翦と李牧の意図は判りかねますが、蒙恬の左翼五千は相対する紀彗の三万に比べて、六分の一と非常に少なく、下手をすれば一気に飲み込まれてしまう恐れがあり、心配です。
蒙恬が王翦から作戦を伝えられた際、じっくり盤面をみて、心得ましたと言ったことから、王翦の作戦を理解し、これでも戦えるという判断をしたのでしょうね。内容はわかりませんが…
合従軍以来の蒙恬の見せ場なので、ファンとしては期待大です!!

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