SSブログ

第497話 集結の本意

昌平君達は呼び寄せた信、貂、王賁、蒙恬に鄴攻めを告げる。場所がわからない信に蒙恬は趙王都邯鄲の近くだと教える。河了貂はいきなりの鄴攻めの真意を蒙毅に尋ねるが、河了貂を手で制しただけであった。
蒙毅は真剣な眼差しで盤面を見ていた蒙恬にどう思うか尋ねる。蒙恬は正気の沙汰ではないが面白いと感想を述べる。それは趙西部攻略の道は塞がってきているためであった。蒙恬はその危惧をしている頃にその打開策を咸陽で練られていたことに舌を巻く。
さらに蒙恬は鄴攻めの可否はともかく西部を囮とした鄴を落とし、邯鄲に大手をかける策は李牧をも欺く一手だと熱く気持ちが高まってきていた。
しかし、王賁は鄴自体が邯鄲に次ぐ大都市の上に強力な軍事都市がひしめく王都圏の中にあり、自殺行為だと否定する。
蒙毅は決して自殺行為にはさせなく、練った戦略を信じてほしいと説得する。
王賁はならば趙の目を西部に引きつけ鄴までうまく軍を進めたとして、そこで兵站を分断され退路も絶たれ、邯鄲や他の都市から大軍と鄴に挟み込まれる最悪事態への対処まで練られた作戦があるというのだなと詰め寄ると蒙毅は言葉を失った。王賁は戦略に自信がないから呼び戻したのだろうと吐き捨てる。
昌平君は三人を召喚したのは作戦に自信がないわけではなく、戦略上この三隊の働きが重要になってくるからだと口を開く。
鄴は趙王都邯鄲守備網の中にあり、どう侵入してきた軍を絡め取るかあらゆる仮想戦をやり、対策は練っているものの、相手は李牧であり、見えている戦力以外の隠し手があって然るべきてある、想定外の事態が必ずふりかかるため、現場での瞬間の的確な判断が必要であると語る。そして、その能力を高く養うために三隊は小隊の頃から独立遊軍という特別な権限を与えていたと話す。
自由判断は全体の戦略の意図を理解した上で動く必要があり、そのために咸陽まで呼び寄せたのであった。昌文君は三人はまだ五千人将ではあるが、他の将軍以上の働きを期待していると話す。しかし、介億は期待ではなく絶対条件だと言い切り、それがなくては確実に鄴攻めは失敗すると断言する。
そして、そこに政が現れ、一言付け足させてもらいたいと部屋に入る。王賁と蒙恬は即座に跪くが、政は二人に近づき、跪かず、立って顔を見て聞いてほしいと語る。鄴攻めはこれまでにない重大かつ過酷な戦いとなる、だがあえてこれは中華統一への難関への一つに過ぎなく、これからもさらに三人の力が必要となる、必ずこの戦で大功をあげ、三人揃って将軍へと昇格しろと熱く語る。
河了貂は三人の働きの重要性はわかるが、一番重要なのは総大将であり、総大将は誰なのかと問うと昌平君は総大将はと口を開く。






総大将はやはり本命は騰だと思います。理由としては騰だけが三人と一緒に戦ったことがあるのからです。これだけの苛烈な戦いでは一緒に戦った経験が必要であり、連携が重要だからです。
他の将軍はというと
蒙武…連携なんて関係ない
桓騎…信と喧嘩したばっかり
王翦…王賁と微妙だし、自ら死地には入らなそう
楊端和…言葉もあまり通じない山の民との連携はなかなか難しいでしょう
他の将軍…論外

実際に策を練った昌平君という選択肢もあるかと思いますが、現場経験もそれほどないでしょうし、何より不測の事態が起こった際に全体を見ている咸陽に昌平君がいなくては対処できなくなる可能性があるので、それはやっぱりないかなと思います。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。