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第463話 離眼の悲劇

老婆は羌瘣に離眼の悲劇を語り出した。それはまだ離眼一帯が治っていない頃の離眼城主が先代の紀昌の頃の出来事であった。
その頃はその一帯は離眼と暗何という城が地域の覇権をかけて争っていた。王都邯鄲はこれをよくある地方の小競り合いと思っていたが、実際は激しい戦争であった。力で圧政をひく暗何の唐寒とは対極に善政で民に慕われ、結束の固い離眼の紀昌。兵数で言えば暗何が倍以上であるが、戦上手の紀昌と猛者揃いの側近、練兵された兵団は暗何と互角に渡り合い、若き紀彗、劉冬、馬呈の台頭で戦局は離眼に傾きだしたのであった。紀昌はその戦いぶりを見て、親としての嬉しさを感じていた。紀昌は劉冬、馬呈の育ての親でもあったのだ。
日々勢いを増す離眼に対して暗何は決戦に出る。それは旦虎の戦いと呼ばれるものであり、離眼も全軍で挑むものの、財を叩いて周辺の兵を借り集めた暗何は五倍はいたのであった。凄まじい戦いで、奮戦した劉冬、馬呈も深手を負ったが、最後は五倍の敵をかいくぐった紀彗が自ら唐寒を討ち取り、離眼が見事に勝利したのであった。これで一帯は紀昌の善政が広がると喜んだが、長年の因縁はこれで終わりではなかった。
旦虎の戦いの後、唐寒の残軍を紀彗軍が負っている間に留守中の離眼城が落とされてしまったのである。襲ったのは唐寒の子、唐釣であった。臆病者で旦虎の戦いに出陣せずに暗何城に残っていた唐釣が城のわずかな衛兵を引き連れて急襲したのであった。離眼の城内には劉冬、馬呈もいたものの、ほとんどは旦虎から帰還した重傷兵のみであったため、離眼は落ちてしまい、城内にいた女、子供、老人全員が人質になったのであった。そして、唐釣はそれらの命と引き換えに紀昌と将校、兵の投降を迫ったのであった。紀彗は唐釣の卑劣な手に屈しないよう紀昌に迫るが、紀昌は自分は武将の前に離眼の城主であり、側近達は離眼の大人達だと言い、親が子供のために命をかけるのは当然であると紀彗の懇請を退けた。そして、その責を紀彗に受け継がせたのである。
そうして人質交換が行われた。人質交換の際、紀昌は劉冬と馬呈に会う。劉冬と馬呈は涙を流し、土下座し、離眼を守れなかったことを詫びた。しかし、紀昌は二人が生きていたことを天に感謝し、門出の意味も込めて、偶像を返した。

邯鄲からは善満という武将が派遣されてきており、この儀を見届けていた。そこには李牧もいたのであった。
紀昌達は縛り上げられる。そして、火が放たれた。紀昌は離眼の民に向かって叫ぶ。紀彗がこれより離眼の城主だ、若き父だ、皆で支えよと命令し、紀彗には離眼の子らを守り抜け、頼んだぞ倅よと最期の言葉を口にした。紀彗は怒りの余りに目から血を流していたが、紀昌の言葉をしっかり受け止め、必ずと返した。
それが紀彗の名が外に広まっていない理由であった。しかし、紀彗は火刑で主だった大人達を失ったものの、五年で離眼の力を復活させ、次の三年で暗何も屈服させ、一帯の盟主となった。
羌瘣はそれで人形は何だと問うと離眼の古くからある風習の守り子というものであり、子供達が戦場に出る父に贈るお守りみたいなものであった。
老婆は紀彗軍はさらに強く、黒羊の先に行かせないという士気も高いため、羌瘣に再度軍に戻るのを止めるが、羌瘣は強敵ならなおさら仲間の元に戻らなければと意志を固くもっていた。

黒羊三日目の夜は不気味なほど静かにふけた。そして、黒羊最大の激戦日となる四日目の朝焼けは血のように赤かった。その主戦場となるのは紀彗軍の陣地である。




この離眼の悲劇を聞くと桓騎という相手は最悪の巡り合わせに思えますね。政の夢実現のためにも勝たなければならない戦いではありますが、離眼の民には手を出さないでほしいですね。
そこは羌瘣から離眼の悲劇を聞いた信が止めてくれると思いますが…

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